よみがえったシルクロードの音色

正倉院の渡来楽器を復元 最終回

「鐘 しよう」
 金の音色


 中国の伝説時代に炎帝という神様がいる。
 炎帝は人々に農業と、薬になる植物を教えたとされ、農業の神様、薬の神様として、現在でも「神農」の名前で親しまれている。この炎帝の曾孫にあたる鼓と延という二人が「鐘」という楽器を作り音楽を広めたとされる。
 この話は単なる伝説にすぎないかもしれないが、殷・周時代になって青銅器が勃興すると、鐘が鋳造されていたのは確かで、中国の各地から発掘されて考古学的にも明らかになっている。西周時代になるとさまざまな音源を八種類に選別し、八音の音色として定められ、金の音として鐘があてはめられた。またこのころ大小の鐘を作り、音律を整えて、それらを二段に架して並べ「編鐘へんしょう」という楽器に仕立てられた。七八年に河北省で発掘された編鐘は、総重量五トン半もあり、数も六五個を一組にしたもので、その大きさから楽器としてばかりではなく祭器として、また権威の象徴としても使用されたことがうかがわれる。
 この編鐘は朝鮮半島まで伝搬したが、ついに正倉院に伝わらなかったのは不思議なことだ。

目次へ戻る